皇治「K-1を大阪に持って帰ってきた」

このエントリーをはてなブックマークに追加

皇治選手が「K-1を大阪に持って帰ってきた」

っていう発言について武尊選手などが批判的な意見を出していますが、

これについてお話しますかね。

これね関東の人間には理解されないと思うけど、

関西ってK-1アレルギーが半端じゃないんですよ。

ってか関西の選手はK-1に出たら地元を含んだ関西圏の興行に出場することができなかったんです。

もちろんそれで関西でのK-1興行は開かれませんでした。

だからK-1選ぶかその他団体興行を選ぶかの二者択一をずっと迫られてきたんです。

まぁ団体興行からの圧力ですよね。

「K-1選んでから大阪帰ってきても出られる試合ないからな」と。

これはプロに限らずK-1のアマチュア興行やK-1甲子園においても圧があります。

「K-1を選んでしまったらもう地元じゃ試合できない」

そんなストレスを選手達はここ数年ずっと抱えてました。

まぁ結局残る人間と上京する人間に分かれましたけどね。

でもホーストカップができたらへんかな?

そこぐらいから徐々に、非K-1選手達が陽の目を見るように救われてきたのかな?

knockoutが出来てさらにクッキリ分かれて、

RIZINや那須川天心の存在などで、なんとかK-1を選ばなかった選手達が報われたのと

K-1のブランド力が下がってきました。

まぁ天心の存在が象徴的ですよね。

そんぐらいからK-1も、自分らのことをK-1グループって言うようになりましたから。

これね本間に関西のプロ選手やジュニア選手は悩んでいたんですよ。

しかもジュニア選手の親御さんらはモロに自分らがK-1世代ですから、

やっぱり我が子をK-1甲子園とかに出したいんですよ。

でもK-1を子供に選ばさせるのは今後の選手キャリア、

これからの将来を縛ってしまうし、かなりリスキーな行為なんだと悩んでました。

まぁかといって那須川天心みたいに突き抜けることもできない。

プロ選手も含めて、ジュニア選手、その親御さん、

みんなこの独占契約のK-1を選んで、その他関西を捨てることができなかったんです。

本間にみんな悩んでいました。

そ・こ・で、

皇治選手の「K-1を大阪に持って帰ってきた」の意味がわかるんですよね。

自分が注目選手となって、閉ざされていた大阪でK-1大会を開くってことで、

選手が自分の選んだ舞台で、

場所やしがらみに関係なしで輝けるってことを証明したってことなんです。

だからこの発言の意味は実はかなり深いんです。

皇治選手も30歳前なので年齢的に勢いのあった時代をしがらみの中で生きてきています。

だからこそ短い選手生命なんだから、

自分自身の選択でキャリアは切り開けるってことを証明したんですな。

まぁ関西格闘技事情を知らない人たちはなんのことかわからないでしょうけど、

実は皇治選手はしがらみやらなんやらをブチ壊して成り上がった選手なんですよと。

だからリング上で天心や堀口選手の事を言ったりするんですね。

まぁそんな業界背景があって苦労があったことを少しでも理解してもらえたらなと思います。

ちなみに勝敗予想なんですが、

武尊選手のフックの内側を皇治選手がストレートで当てることができたのなら唯一勝てるかな?

絞ったストレートを打ち合いの中で打てるか?

まぁこれがカギかな?

ほなね

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です